目の前がぐらぐらする。身体が異常に熱い。動きたくても身体が言う事をきかない。

脇に差している体温計が測定終了の合図を鳴らした。



「………39度……」



どうやら風邪をひいたらしい。



「もー！仮にも医学学校にいた人がどうして風邪引くわけー？医者のふよーじょーだよ！ジュード！」

「…耳元でガンガン怒鳴らないでよレイア………」



自分の布団で丸くなりながら、ジュードは「へっくし！」とくしゃみをした。顔は真っ赤で目は熱でうるんでいる。

風邪の中でも相当ひどい部類に入りそうだ。

レイアは、呆れてものも言えないとでも言いたげな表情で両手を腰に当てる。



「っていうか、こんなに寒くなったのに窓あけっぱなしで寝てる時点でおかしいって！」

「…ぼく、ちゃんと閉めたはずなんだけどなぁ……」

「い・い・わ・け！！」

「言い訳じゃないんだってば……」



ジュードはレイアから氷枕を受け取ってその上に頭を乗せながら呟く。

昨日は早めに帰ってうがいをしてお風呂に入って身体を乾かし、窓も閉めて寝たはずなのだ。

なのに朝になってみたら窓は開いてるし、なんだか身体は濡れてるし、しかも心なしか寝てる間に窓から物凄い冷気に襲われた気もする。

精霊術でいうならスプラッシュとか、アイシクルレインとかその辺りの。

一日ならまだしも三日連続そんな状態が続き、今日見事に風邪をひいたわけだが……



「それも言い訳！！」



レイアに一蹴された。



「そんなこと言ってる暇あったら治す！ほら、ネギ持ってきたから！」

「…ネギ？」



何だか嫌な予感がしてジュードはベッドの端に逃げる。レイアは片手にネギをもってじりじりとジュードににじり寄ってきた。



「ネギ、首に巻くと、早く治るって言うから……」

「迷信っ！迷信だから！やめっ！」

「おい！馬鹿女はどこだ？！」



ぎゃーっ！というジュードの悲鳴が部屋にこだました時、アグリアが威勢よく部屋に入ってきた。後ろには何故かプレザもいる。



「……レイア、貴女何してるのかしら？」

「ネギで男の首絞めんなんざ、正気の人間が出来る事じゃねーな」

「え？！ち、ちがうの！これは、ジュードが風邪ひいて！」

「風邪ぇ？！」



アグリアはレイアにネギで首を絞められてぐったりしているジュードをじろりと見た後、プレザとそっと目を合わせた。



「成功だな」

「…ウィンガルに報告ね」

「へ？二人とも何か言った？」



ぼそぼそと囁き合う二人を訝しんだレイアが首を傾げて尋ねると、「何でもねーよ！」とアグリアに叫ばれる。そしてプレザがさりげなくレイアの肩に手を置いた。



「風邪ひいてる人の傍にいたら貴女まで風邪ひいちゃうわよ。さ、行きましょう」

「へ？え？で、でもジュードが……」

「てめぇに看病される方が余計に悪化するぜ！おら、行くぞ！」

「えぇ？！じゅ、ジュードォォォ！」



ずるずるずる、と二人に引き摺られていくレイアを見送ってジュードはもう一度くしゃみをする。



「…寝よ」



朦朧とする意識の中、ジュードは毛布にくるまって目を閉じた。



・・・・・



「…そういえば、ご存知ですか。陛下」

「何がだ」



カン・バルクの執務室。窓から伝書鳩にくくられたメモを見ていたウィンガルは、メモをしまいながらガイアスに言った。



「ジュードが風邪を引いたそうです」

「……っ？！」



バンッガタッドサッ！

謎の音が執務室内に響く。ガイアスが机を叩いて(バンッ)立ちあがり(ガタッ)その衝撃で机に積み上げられた本が床に倒れた(ドサッ)音だった。

しばらく二人とも無言の状態が続いた後、ガイアスがウィンガルを見る。



「……ジュードが風邪？」

「えぇ。39度台がずっと続いているそうです。一人じゃ動けないほど酷いとか」

「…今日残った公務は」



ウィンガルは頭の中のスケジュールを思い起こす。



「あと……大きなもので４つ程かと。会談が……」



ガイアスは再び座りなおし、ウィンガルに反論を許さぬ迫力で言った。



「今すぐ全部持ってこい。………日暮れまでに終わらせる」

「………はい」



その時ほどの気迫をウィンガルは後にも先にも見た事がなかった。



・・・



数時間後。恐るべき速度で全ての公務をきっちり終わらせてイル・ファンに向けてワイバーンで飛び立ったガイアスを送ったウィンガルは、

あまり人が使わない小さな個室に入る。



「…もう戻っていたか」

「ワイバーン使えばすぐだぜ」



中には既にイル・ファンから戻ってきたプレザとアグリア、ローエンが待っていた。そして縄でぐるぐる巻きにされて眠りこんでいるレイア。

それらを見回して、ウィンガルは無表情で告げた。



「陛下が、ジュードの所に旅立った」

「「「…………」」」



4人は黙って顔を見合わせ、



「「「「よっしゃぁ！」」」」



各々ガッツポーズをとった。普段冷静なウィンガルまで拳を握ってるあたり、かなり異様な光景である。



「ったくよぉー窓開けっ放しにするのめんどくさかったぜ！鍵までかけてやがんだぜ？あんなん割りゃ一発なのによー」

「不審者の可能性を疑われたら余計にやりにくくなるじゃない。それに、毎晩ばれない程度に威力を弱めてスプラッシュかけてた私に比べたらマシでしょ。

起きる前に乾かすの大変なんだから」

「しかしまさかこんな手段でガイアスさんとジュードさんをひっつけようとするとは……少々意外でした」



ひげを触りながらローエンが言うと、ウィンガルは「当然だ」と自慢げに言った。



「陛下が心配のあまり時折公務に支障をきたすレベルだぞ。そのくせ公務があるから研究で忙しいからと会いにいかない……。なら意図的に何かを起こすしかない」

「それはそうなんですが……意図的に風邪をひかせるという手段はそうそう思いつきませんよ……。

これはさすが革命のウィンガルとでも言っておけばいいのでしょうか……」

「だから貴方は古いと言っているんだイルベルト。文通など甘い。直接行動あるのみだ」

「良いと思うんですがねぇ……文通」



ローエンが未練たっぷりに言った台詞をウィンガルは聞き流し、いつもの冷静な表情に戻る。



「…とにかく、レイアは一日ここに置いておく。ここで邪魔されては元も子もないからな。他の奴らへの対策はしたか？」

「えぇ。エリーゼさんはお嬢様とお茶会。アルヴィンさんはリーゼ・マクシアとエレンピオス合同の釣り大会に行ってます。お二人ともイル・ファンには寄らないでしょう」

「よし。後は陛下にお任せしよう。さっさとジュードをオトしてカン・バルクに連れてきてもらわなくては」



・・・・



意識が睡眠と覚醒の狭間をゆらゆらと漂っている。ジュードはこの感覚がなんとなく好きだった。水中を泳ぐ魚の様な、不思議な浮遊感がある。



「………おい」



不意に意識の向こうで誰かに呼ばれた様な気がした。低い、落ち着いた声。



(……だれだっけ……)

意識が曖昧なことや高熱ということもあって、なかなか声の主を思い出せない。意識が徐々に覚醒に向かい始め、薄目を開くと光が見えた。

しかし、急にジュードの視界にフッと影が差す。



「……ジュード、大丈夫か」

「ん………？」

「…起きたか。なかなか起きないからさすがに心配したぞ」



目を覚ますと間近にあった赤い瞳と目があった。まだはっきりとしない視界だが、ジュードはこの瞳の持ち主を知っている。意識が急速に覚醒した。



「………が」

「どうした？」

「ガイアス？！」



ジュードは慌ててベッドから飛び起きた。と、急に起きあがったせいか頭がぐらぐらしてすぐにベッドに倒れこむ。

ジュードの背に手をまわして支えたガイアスは「大げさだな」と苦笑した。



「……な、なんで、貴方が、ここに……？！あれ、これって、夢？あ、そっか、夢かぁ……」



すっかり頭が混乱したジュードは少し呂律のまわらない状態でそう言った。



(忙しいガイアスが……ここにいるわけ、ないしね)



心の中でそうひとりごちで自嘲気味に笑う。くるくると一人で表情を変えるジュードを見ていたガイアスは、

おもむろに自分の額をジュードの額に当てた。息を吐けば当たる至近距離にガイアスの顔があり、ジュードは更に顔を赤くして硬直する。

まったく都合のいい夢だ、と心で呟く。



「…っ？！」

「……まだ熱いな」



むしろ上がったか？と言いながら、ガイアスは近くの机に置かれていた白く小さい紙袋を手に取った。袋を開いて逆さにすると、

錠剤が４粒ほど転がり出てくる。ジュードも飽きるほど見てきた、それは



「風邪薬……？」

「医者にもらってきた。動けないなら病院にも行ってないだろう。これを………ジュード？」



ミノムシみたいに布団の中で丸くなったジュードにガイアスが呼びかける。ジュードは布団の中で丸まったまま、聞こえるか聞こえないかぐらいの小声で言った。



「……薬、いいです」

「……………まさか、ジュードお前」

「い、いいって言ったらいいんです！……苦いし」

「それが本音か」

「だ、大丈夫です！寝てればなお…ヘックシ！」



くしゃみで布団が一際大きく揺れる。子供みたいな理由で断固として薬を拒否する体勢のジュードに、ガイアスは大きくため息をついた。

そして布団の端に手をかけ、一息にジュードから布団を引き剥がした。



「わぁっ？！」



ガイアスは布団から転がり出たジュードを逃がさないように、頭のすぐ傍に手をついて自身もベッドの端にあがる。



「ガイアス………？」

「今すぐ選べ。自分でおとなしく飲むか、俺に無理やり飲まされるか」

「へ？！」



物凄く横暴な二択を出された気がする。ただでさえ熱で頭がまともに働かないのに、焦りでそれに拍車がかかる。

グッとすぐ傍に置かれたガイアスの手に力がかかったのを察して、ジュードは全力で叫んだ。



「え？あれ？え、えっと……えっと……の、飲む！飲みます！自分で飲むから」

「…そうか」



思ったよりもあっさりした反応でジュードがホッとしていると、ガイアスの手が寝巻の胸元に触れた。そのまま掴まれグイッと半身を起される。

目を白黒させているジュードに向かって、錠剤を自分の口に含んだガイアスはニヤリと笑ってみせた。



「少し遅かったな。時間切れだ」

「じっ？！……んっ」



時間切れも何も制限時間なんて指定しなかったじゃない、という反論はガイアスのキスにふさがれる。

錠剤をジュードの口に移すとガイアスは一旦口を離し、今度は机に置かれたコップの水を含んで再びジュードにキスをおとす。

ツゥ…とジュードの口端から水が線を引いてシーツに落ちる。



「……っは…」



コクン、とジュードの喉が薬と水を嚥下したことを確認したガイアスはそっと口を離す。力なくベッドに倒れこんだジュードの髪を優しく撫でる。



「しばらく寝ると良い。薬を飲んで寝ればすぐに良くなる」



まるでそのまま去ってしまいそうなガイアスの台詞に、ジュードは思わずガイアスの袖を掴んでいた。

驚いたようにジュードの顔をみるガイアスに、ジュードは朦朧とする意識の中で口を動かす。



「も、もう少しだけ、ここに、いて……」



どうせ夢なら、少しだけわがままを言っても良いだろう。所詮夢なのだから。

この期に及んでまだ夢だと勘違いしているジュードはそう思って、ガイアスの袖を握る。いつもなら忙しいだろうと思って決して引き留めようとはしなかったのだが。



「……大丈夫だ。起きるまでちゃんとここにいる」



熱をもった額にキスしながら言われた言葉にジュードは嬉しそうに笑って、迫りくる眠気に身を預けた。



その数時間後、今の出来事が現実だと知って大慌てする事を、今のジュードはまだ知るよしもない。




熱に浮かされる



end