「…こうして王子様とお姫様は末永く幸せに暮らしましたとさ。おしまい」
イル・ファンに来たついでにジュードに会おうと研究室の扉を開けた瞬間、聴こえてきたのはそんな声だった。
続いて子供の歓声とそれをなだめるジュードの声。
「はい。今日はおしまい。また今度ね」
「ジュードにーちゃんありがとー!」
「またごほんよんでねー!」
「分かったよ。またおいでー…ってガイアス?!」
ジュードはようやく来訪者の存在に気付いたらしく、子供達に振っていた手を止めた。
ガイアスの顔を見て僅かに顔を赤くしたかと思うと、ハッと我に返った表情になって慌てて辺りのものを片付け始める。
いつもは綺麗なジュードの部屋だが、今日は子供が来ていたからかちょっとだけごちゃついていた。
大慌てで物を片付けて奥の部屋に行きながらジュードは少し講義するような声で言う。
「く、来るなら言ってくれればいいのに…」
「…すまん。少し予定より早く会議が終わったんだ」
別に散らかっていても気にしないのに、と思いながらガイアスは机の上に置きっぱなしだった絵本を手に取った。
おそらく先ほどジュードが読み聞かせしていたものだろう。私物なのか、少し古いものな気がする。パラパラとめくりながらガイアスは訊いた。
「よくこういうことをしているのか?」
「え?」
「絵本の読み聞かせ」
絵本をかざして言うと、奥の部屋から顔を覗かせたジュードは照れくさそうに「最近ね」と笑った。
「前一度、ボランティアの人に頼まれたんだけど、それ以来よく頼まれるんだ」
「御人好しは相変わらずだな」
「そうかな…でも、子供は可愛いし、嫌じゃないから」
ガイアスはジュードから顔が見えない事を良い事に、小さく苦笑をもらした。
ガイアスにとってはジュードもまだまだ子供の域を出ない。
そんな彼が「子供」を語る事がちょっとおかしかったのだ。
例えるなら、自分の妹弟の面倒を見て誇らしげに胸を張っている子供を眺める親の気持ちに似ている。
「はい。ブラックで良いよね」
一通り片付け終わって納得いったのか、ジュードはガイアスの傍に戻ってきた。手にはコーヒーカップが二つ、湯気を立てている。
片付けながらも飲み物の準備をしている辺りが彼らしい。
「あぁ、ありがとう」
好みをしっかり覚えてもらっていた事にささやかな喜びを感じながら、ガイアスはコーヒーカップに口をつけた。
ジュードは自分のカップに砂糖をいくつか入れてスプーンで回しながら、羨ましそうに言う。
「なんかブラックで飲めるって大人みたいで良いよね」
「味覚で大人子供は計れんだろう」
「そうなんだけど…何て言うのかな、イメージ的に?」
クスクスと笑って、ジュードも自分のコーヒーカップに口をつける。
それから視線を上げてガイアスとその横に置かれた絵本を見て、何故かシブそうな顔を見せた。
「…? どうした、ジュード」
「いや、ちょっとね…ガイアスとそれ見てたらちょっと思い出しちゃって」
「思い出す?」
意味が分からずに聞き返すと、ジュードは「大したことじゃないんだけど…」と話しだした。
「小さい頃よくレイアと一緒にその本読んでたんだけど、その時に『ジュードは王子様って言うよりお姫様だよね』って笑われた事があってさ」
「………レイアなら言いそうだな」
「うん…でも、男にお姫様は無いと思うんだ、絶対」
拗ねた子供の様に唇をとがらせながら言うジュードを見て、ガイアスは気付かれない様にカップで口元を隠しながらフッと笑う。
大人や男らしさに憧れている節を見せるジュードだが、そういった表情にはまだあどけなさが残る子供のものだ。
そういったものを随分昔に捨ててしまったガイアスにとって、クルクルと変化するジュードの表情を見る時に去来する感情は、
欠けたピースを拾い集めるような感覚に似ていた。
今の平和がもっと昔にあったら、また自分にも違う道があったのだろうか、と時折ガイアスは考える。
血と死の渦巻く世界に身を投じ、人とは一線を画す以外の道が、自分にもあったのだろうかと。
「ねぇ、ガイアスもそう思うでしょ?」
「……ん?あぁ…そうだな」
唐突に同意を求められて我に返ったガイアスは、心ここにあらずといった返事を返した。ジュードはその返事が不服だったのか、不貞腐れた表情になる。
「まさか…ガイアスまで僕にはお姫様が似合うとか言い出さないよね…」
「………」
ガイアスはその発言を聞いて、わざと焦らす様に視線を巡らせた。口元には彼にしては珍しい悪戯っぽい笑みが微かに浮かんでいる。
沈黙を貫くガイアスに段々不安になってきたらしく、ジュードの表情が面白いくらいに変わっていく。
今にも泣きそうな表情になったあたりで流石に可哀想に思えてきたガイアスは、カップをソーサーに置いた。
「そうだな…別に俺はどちらでも良いと思うが」
「もー、ガイアス!」
否定も同意もしないという曖昧な解答に、ジュードは怒った様な声を上げた。彼にとってどうしてもそこは譲れない所らしい。
まぁ、当然と言えば当然だろうが。女っぽいと言われて喜ぶ男はそうそう居ないだろう。
このままからかい続けていればしばらくソッポを向かれる事が分かっている。分かっていても、ガイアスはつい自分の中に沸いた悪戯心を止められなかった。
ガイアスはおもむろに立ち上がると、ジュードのすぐ傍に歩み寄る。
「ただ……もしもお前が囚われのお姫様だというのなら」
腰をかがめ、ジュードに向かって手を伸ばす。
「それを連れ出すのは俺の役目でいいな?」
「……っ!」
ガイアスの指先が触れた瞬間、ジュードが息を呑む気配がした。滑らかな頬に手を滑らせ、もう片方の手をジュードの座っている椅子の背もたれに乗せる。
「“お前を縛る全てのものから、お前を救おう”」
絵本の中に載っていた王子の台詞を抜き出して、ガイアスは言った。ジュードはリンゴの様に顔を真っ赤にさせて、必死に何か言おうと口を動かす。
が、結局何も言えずに唇を震わせる。
「うぅぅぅ……」
ジュードは真っ赤な顔のまま視線を背けて、顔を隠す様にガイアスの肩に顔をうずめる。
「………か」
「ん?」
顔をうずめたままジュードが何か言ったのだが、聞きとれず、ガイアスは小さく訊き返した。
ジュードはしばらく黙っていたが、やがてヤケクソになったのか少しだけ荒っぽい語調で、それでいて恥ずかしそうに叫ぶ。
「ガイアス、が!王子なんて!僕、一生、勝てないじゃん!って!言ったの!」
かっこいいし!ずるい!とジュードが駄々をこねる子供の様に叫ぶのが愛おしくて、ガイアスはそっとジュードの頭を撫でた。
(確かに…子供は可愛いし、嫌じゃないな)
ジュードが先ほど言っていた言葉を思い出し、ガイアスは微笑する。
確かにもっと昔に平和が訪れていたら自分にも別の道があったのだろうが、今こうやってジュードの目指す「大人」として彼の成長を見るのも、
それはそれで悪くない道だと思う。
「当然だ、俺を誰だと思っている」
ガイアスはからかうようにそう言って、ジュードの額に口づけを落とした。
当分この優位性は譲ってやるわけにはいかないな、と心の中でそう呟きながら。
「大人」と「子供」
end