再開



遅かった。

目の前に広がる惨状に、少年は忌々しげに舌打ちをした。

深夜の路地裏。比較的開けた空間であるはずのそこは今、呼吸さえままならぬ程の異臭と邪気に包まれていた。

可視化された邪気は黒い靄となって現れる。不明瞭な視界の中、口と鼻を袖で覆った少年が一歩踏み出した時、柔らかい感触が足先に触れた。

視線を落とし、感触の正体を確認した少年は顔をしかめる。

転がっていたのは白目をむいたまま動かない二人の男。邪気にやられたか、それとも別の要因か。

恐らく両方だろうと判断し、少年は周囲を一瞥した。その双眸に動揺は浮かんでおらず、研ぎ澄まされた刃のような鋭い光が宿っている。

世界には「霊気」が満ちている。宗教や文化の違いから「魔力」や「気」とも称されるそれは、森羅万象に満ちて常に一定の流れと安定を保ちながら世界を循環する。

だが、時折様々な要因で霊気のバランスが崩れる事がある。特に一か所に濃密に固まった歪んだ霊気は、時が経つにつれ澱んで「邪気」と呼ばれる有害な存在へ姿を変える。 その危険度は高く、酷い時には大の大人が10分と経たないうちに倒れることもある。

長居は出来ないと判断した少年は表情を引き締め直し、倒れた男の傍に跪いた。右手を握って前に突き出し、囁く様な声で呟く。



「……“霊流解析”」



ゆるりと解かれた拳の隙間から、金属がこすれるような音を立てて何かがこぼれでた。

細い銀鎖の先に紫の六角水晶がついた、ペンデュラムと呼ばれるものだ。



「“解呪。示せ”」



少年が鎖の先を握ったまま短く唱える。すると、所在なさげに揺れていた六角水晶に、ぼう、と光が灯った。

水晶は強い引力に引き寄せられる様に斜め前を指し、そのままピタリと停止。先に広がるのは、夜の闇と濃い邪気のみ。

街灯もなく、周囲を建物に囲まれ月明かりもろくにない状態では、数メートル先を見るのも難しい。

それでも水晶が指し示す“何か”を視る様に少年が目を細めた瞬間、眼前の闇がぐにゃり、と奇妙に歪んだ。



「……そこか」



少年は視線を前方に固定したまま、鎖を素早く右腕に撒きつけて留める。 陽炎の様にゆらゆら漂うだけの邪気が、そこだけ割れた鏡に映した様に不自然に歪んでいた。

歪みは徐々に収縮し、黒い靄から汚泥の様な固体へと変化していく。 明らかに何かの形を成そうとする動きだ。

生物や環境に悪影響を及ぼす存在である邪気は、霊気の大きな流れに取りこまれて浄化されるのが通常だ。

しかし、自然浄化の許容量を超えて濁った邪気の塊は「霊魔」と呼ばれる異形の化け物へ変化する。

通常なら霊魔になる前に浄化するなり消し去るなりするべきなのだ。が、何故か少年は品定めをするようにその光景を見つめていた。

やがて粘土細工の様にうごめいていた邪気の塊は動きを止め、ウゥゥゥ…と唸り声を発した。霊魔としての実体化だ。

姿形はドーベルマンに近いが、爪と牙が異様に鋭く、爛々と光る赤い目は常軌を逸した存在だというのがわかる。

霊魔は一頭ではなく、闇の奥から次々と姿を現す。その数ざっと10頭。あっという間に取り囲まれた少年は、慄くどころか落胆の息を吐いた。



「……ここも外れ、か」



呟き、右大腿に巻かれたベルトに付けられた装置に手を伸ばす。

一見黒い銃を内包したガンホルスターだが、材質は皮ではなくセラミックに近い。つるつるした表面に複雑な回路模様が明滅する姿は鼓動の様だ。

ホルスターと銃は鎖で十字に縛られており、それらを縫いとめる様に鍵が中央に突き刺さっている。

少年はその鍵を握って、直角に回した。



「“第一封印、解放”」



重々しい解錠音と同時に鍵が強く発光し、鎖にも光が伝導する。

ホルスター全体に複雑な回路が浮かび上がり、内側から溢れだす力に押される様に鎖が弾け飛んだ。弾け飛んだ鎖は光の粒子となって霧散する。

少年が銃を引き抜くと、銃口の前に青白い光の線が躍った。見えない手がペンで描くように光の線はなめらかに動き、様々な種類の文字と幾何学模様が組み合わされた円陣――霊魔を討つ“術式”を虚空に紡ぎ出す。



「“穿て”」



言い放ち、少年は引き金を引いた。

呼応するように術式が輝き、そこから無数の氷塊が迸る。氷塊は意志があるかのように大きくうねり、霊魔にむかって襲いかかった。

霊魔を次々と貫き、潰し、切り裂いていく氷の嵐。その姿は美しく、暴力的。

身体を切り裂かれ、体内にあった黒い球体を破壊された霊魔は砂の様にかき消える。



「俺は、暇じゃないんだっ!」



残った霊魔に銃口を向けながら、少年は夜空に向かって吼える。



「どこにいる――“伯爵”っ!」



銃声と共に放たれたその声を聞く者はなく、路地裏の闇に溶けていった。