王立騎士団の卵たち


「クシュンっ!」


昼間は既に春の日差しだが、首都リベラスに吹く夜風はまだ冬と変わらない冷たさを含んでいる。

複雑に入り組んだ路地を駆け抜けていく風に、歩いていた少女は小さくくしゃみをした。

空を見れば満月が真上に上がっている。周囲に建つ家々の住人のほとんどは既に夢の中だろう。


「さむ……っ」


少女は黒いシャツにショートパンツ、革製の上着と同色のベルト、ブーツといった格好で、左腰には剣が

下げられていた。この国では珍しい銀髪が、肩を覆うくらいの長さで歩くたびにふわふわと揺れる。整った顔立ちを

しているが、興味深そうにあたりを見回す明るい紫の瞳からは貴族の令嬢のような淑やかさではなく、

若い木々のような芯の強さがうかがえる。上着には二振りの剣が上向きに交差し、外縁部には

オリーブの葉が描かれた紋章が縫われていた。少女は王立騎士団候補生である。

王立騎士団を示す紋章――少女は騎士団の候補生である。


「あれ、エリス?」


路地の十字路まで来た時、不意に横から声をかけられて少女は視線を移した。少女―エリスと似たような格好

の少年は、澄んだ緑色の瞳を優しげに細めて小さく笑う。首を覆うくらいの金髪と肩にかけた弓が風に揺れた。

彼もエリスと同じ王立騎士団候補生である。


「なんだー。さっきのくしゃみ、エリスだったのか」

「私以外誰だと思ったわけ…?」

「んー…盗賊団? だってそのために夜回りしてるわけだし」


少年の言う通り、エリス達は最近首都を騒がせる盗賊団を捕まえるために夜回りをしている。

ここ数日見まわっているが、未だにめぼしい成果は得られていない。そのせいか、話している二人にも緊張感はない。


「本当に盗賊団だったらボコボコにしてさっさと帰れたのに」


柔らかな仕草で頬に手を当てて首を傾げるその姿は、アルファが中性的な顔立ちをしているのと合わさって

深窓の令嬢みたいな空気を醸し出している。だが、本物の令嬢はそんなえげつないことを言わないだろう。


「アルファ…実は眠い?」

「眠くないよ? …おなかは空いたけど」


エリスは少年――アルファと出会って二年ほどだが、彼は眠かったり空腹だったりすると殺気立つことを

最近理解してきた。そんな気の抜けるやり取りをしばらくしていたが、不意にエリスが肉食獣の気配を察した

鹿の様にピクンと顔を上げて周囲を見回す。


「エリス?」

「静かに」


アルファを片手で制し、周囲を探るように注意深く耳を澄ます。すると、少し離れた所から小さくパリンっと

何かが割れる音がした。続いてバタバタバタという複数の足音。どう考えてもただ事ではない。


「当たりかな?」

「わかんないけど…。いってみよう」

「…ご飯持ってたら奪っていい?」

「盗賊を騎士が襲ってどうするのよ」


半分以上本気にしか聞こえなかったアルファの呟きを即座に否定し、二人は通りを移動し始めた。

月明かりがあったため、不審な人影をエリスの目が捉えるのにさほど時間は要らなかった。


「みつけた」

「え、どこ? …ってあぁ」


アルファもエリスから一歩遅れて不審者を補足し、近くの物陰に隠れて様子をうかがう。人影は見える範囲で合計6人。

そのうち5人は粗暴、悪人というイメージをそのまま具現化したような男達。遠慮なく殴れそうだ、とエリスは心の中で呟く。

しかし残りの一人はなんと、7歳くらいの少女だった。

逃げるために人質にとったのか、人買いに売るつもりなのか――おそらく両方だろう。

男に担がれた少女の口は布でふさがれ、大きな目からは今にも涙があふれ出しそうだ。別の男が持っている鞄には

宝石や金貨がはみ出している。これ以上ない状況と物的証拠だ。

彼らは通りを左に曲がった。エリスの記憶だとそこはわずかな空間があるだけで行き止まりだったはずだ。

土地勘のない奴らでよかった、とエリスは思う。

結構高い壁に覆われているので、登って逃げることはできない。このチャンスを逃す手はない。


「…どうする? 捕まえる? 様子見て応援呼ぶ?」

「…逃がしたくない。5人なら何とかなるだろうし、あの子もかわいそう」


援護よろしく、とエリスは腰に下げた剣の柄に手をかける。アルファが黙って弓に矢をつがえて

いつでも放てるように準備したのを確認し、エリスは大きく息を吸って物陰から飛び出した。


「なん……っ!」

「くらえっ!」


アルファが男達の足元に矢を放ち、視線が逸れた一瞬の隙を狙ってエリスは腰をかがめて飛び出した。

少女を抱えた男に狙いをしぼって一気に距離を詰め、反応する暇を与えず男の鳩尾を柄先で思いきり殴る。


「ギャッ!」


男は短い悲鳴をあげて仰け反った。支えを失って宙に投げ飛ばされた少女を、走りこんだエリスがぎりぎりキャッチに成功する。

エリスは思わず安堵の息をついて、額の汗をぬぐう仕草をした。


「ふー……あぶなかったー……」

「あ……」


突然恐怖から解放されて放心状態なのだろう、エリスの腕に収まった少女は口を開いたまま固まっている。

エリスは優しく瞳を細めてほほ笑んだ。


「もう、大丈夫だよ。よく頑張ったね」

「あ…あた…し…」


緊張の糸が切れた少女の顔がくしゃりと歪み、眼から涙がこぼれおちる。エリスは安心させるようによしよしと少女の頭を撫でた。


「てめぇ…」


ようやく現状を把握したらしい男の一人がエリスに近づこうとした時、ひゅんっという風を切る音と共に

エリスの頭上を矢が駆け抜けた。それは寸分違わずに男の肩を貫いて壁に縫いつけ、壁に激突した男は力なくその場に崩れ落ちる。