ソルディア王都リベラスの朝は賑やかだ。
大通りに立ち並ぶ市場からの賑やかな声が家に居ても聞こえてくる。
いかにも春と言った心地の良い日差しが窓から差し込んでくる今日は、準騎士の叙任式の朝としては申し分ない日だ。
叙任式を迎える騎士の卵たちはある種の高揚感と緊張感を胸に今を過ごしているはずで、もちろんエリス・グランティアもその例に漏れない…
「はぁぁぁぁぁぁ……………」
「……………」
はず、なのだが……。
高揚感と緊張感など微塵も感じられない疲れきった顔のエリスは、手に持っていたフォークを皿に置いた。
実家であるグランティア家の食卓。エリスはハンパなく沈み込んだ心を切り替えるべく牛乳を一口飲んで、向かいの席に座る己の実兄をチラリと見た。
ローゼル・グランティア、それが兄の名前だ。
エリスと同じあまいクセのついた銀髪は短めで、これまたエリスと同じ紫色の瞳は優しげに細められている。
体つきは男にしては細めだが決して弱々しいわけではない。真面目な顔をして立っていれば、それだけで女性の視線を独占できそうだ。
「はぁぁぁぁぁあぁぁぁ……………」
だが今は不貞腐れた顔で、嘆かわしい、と言いたげなため息を繰り返している。おかげで清々しい朝のはずが一転、葬式みたいな空気に変貌をとげていた。
「……兄さん」
皿に盛られたレタスを突き刺してエリスは言った。
「言いたい事あったら……はっきり、言ったらいいと……思うんだけど」
「…言って、君が聞いてくれるのなら、いくらでも言いたいんだけどね……」
物憂げそうにため息をつくその姿を「儚げで綺麗！」という町娘がいたが、エリスにはどうにも理解できない。
目の前でこんな態度を取られたところで、心を占めるのは「飯がまずくなるな……」ということぐらいだ。兄妹でなければ確実に殴っている。
「聞くだけは聞くってば」
「聞いても、僕の言う通りにはしてくれないだろう…？ あぁぁ…どこで間違えたんだろう……」
もそもそとパンを咀嚼しながらローゼルは刺々しく言った。明らかに拗ねている。エリスは面倒だなぁという本音だだ漏れの顔でレタスを口に運んだ。
ローゼルは一度拗ねだすと長い。触らぬ神に祟りなしと言う言葉もあるし、正直無視してしまいたい。
「…っていうか」
とはいえ今回は内容が内容なだけに、引くわけにもいかなかった。
「何で今さら反対するの？！騎士になるっていうのは私が騎士学校に入った時から言ってる事じゃない！」
そう、今回ローゼルが不貞腐れている理由は、準騎士昇格…ひいてはエリスが騎士になる事についてなのだ。
騎士学校を経ての候補生生活からようやく昇格し、喜んでもらえると思って昨日話したのだが、それ以来ローゼルはずっとこんな調子である。
「知らなかったとは言わせないからね！」
「それはっ！……君がまさか本当になると思わなかったし………」
「道楽で騎士学校入るわけないでしょ……」
「大体、女の子が剣で戦闘なんて危ないじゃないか！」
「古い！女騎士だって今はいるんだから！」
「君がやる必要はないだろう？！」
ローゼルの台詞に、またこれだよ、とエリスは手を額に当てた。睨みあってはいるが、別にローゼルを嫌っているわけではない。
親を早くに亡くしたのにエリスを一人で育ててくれたし、優秀だし、むしろ尊敬すらしている。
ただ一つの欠点、
「兄さんは過保護すぎるんだってば！」
という事を除けば、だが。
たった一人の肉親だということもあるのだろうが、それにしても度が過ぎると思う。しかも何度指摘してもまるで治す気配がない。
その事実を示すように今でも、
「妹を心配して何が悪い！」
「悪い！」
堂々と言い返してきたローゼルに鋭くつっこむが、どう見ても懲りてない。ローゼルはズイッと顔を近づけてエリスの鼻先を指で押した。
「あのね、城に上がるってことはね、貴族とか他の騎士とか魔術師の目に触れるってことなんだよ？！」
「当たり前だと思うけど……」
「もし貴族とか騎士とかの眼に止まって、側室にとか言ってきたらどうするの？！」
「ありえないから！！」
訂正。これは度が過ぎるとかいうレベルじゃなく、末期症状だ。杞憂もここまで来るとただのファンタジーである。
「王城に勤めたいなら王立魔法師団で働けばいいのに……」
すとん、と自分の席に座りなおしたローゼルはボソボソとぼやいた。
彼の左胸には、ホロスコープをモチーフにした図形の前で杖が交差している紋章が縫われている。
交差した杖はソルディア王立魔法師団員であることを、ホロスコープはその中でも隊長クラスの人間であることを示す。
つまり、ローゼルはそこそこ国の中のエリートなのだが、目の前でぶつくさ文句を言っている人間がエリートには到底見えない。世の中とはおかしなものだ。
「兄さんと同じ所に所属してどうすんのよ。七光りとか絶対言われるし」
「言わせておけばいいじゃないか。実力さえあれば文句は言われないよ？」
「うわぁ、エリート発言。そもそも、私は王城に勤めたいんじゃなくて、騎士になりたいの！」
「魔法師団だっていいじゃないか！魔術の才能は元々……」
「兄さん！！」
ローゼルの言葉を遮ってエリスは叫んだ。ローゼルがハッとした表情で口を閉ざしたがもう遅い。
気まずい沈黙が室内におちる中、エリスは自分の左頬を手でそっとなぞると小声で言った。
「……魔術はやらない。私は騎士になるの」
音量こそ小さいが、固い決意の現れた声。断固として譲らないその姿勢にローゼルは心底困り果てた表情になり、それから諭す様な口調で言った。
「…あのね、エリス。冗談抜きに、王宮は危険がいっぱいなんだよ？」
「側室とか？」
茶化すように言うと「エリス、真面目な話」と厳しい声でたしなめられ、エリスは不服そうに唇を尖らせた。
まるで叱られた子供の様な態度にローゼルは一瞬クスッと苦笑したが、すぐに表情を引き締めて言葉を続ける。
「王宮ではね、表に見せる顔が全て真実とは限らない。汚い面だっていっぱいあるんだ。君はその恐ろしさを知らない」
「それは……」
今までと一転、真面目な正論を言われたエリスは思わず黙り込んで瞳を伏せる。
ようやくわかってくれたか？とローゼルは一抹の期待を込めてエリスの顔を覗き込む。が、現実は上手くいかないものである。
エリスの双眸には、期待と真逆の強い決意の光が宿っていた。その瞳に見据えられ、ローゼルは僅かに気圧される。
「でも、兄さんはそこで生きてるんでしょ？」
「え………」
その返しは予測していなかったのだろう。ローゼルは目を瞬かせて唖然とした顔をした。
そんな兄の様子を知ってか知らずか、エリスは剣が交差した紋章――自身の胸元に縫われた騎士である事を示すそれを叩いて、
「とにかく！私は絶対一人前の騎士になるの！決定事項！」
反論は許さないという勢いで言い切ると、エリスは自分の皿のパンと…ついでにローゼルの皿に残っていたベーコンも一緒に口に放り込む。
「あ…あぁっ！せっかく残しておいたのに！」
「早い者勝ち！」
非難の声をあげたローゼルにベーっと舌を出し、エリスは椅子にかけてあった上着を羽織った。剣やポシェットをつけたベルトを腰に巻いて
着々と準備を進めるエリスを見たローゼルは時計を横目で確認する。城に行くにはまだ早い。
「まだ早いんじゃない？」
「せっかく準…だけど騎士になった初日だもん。町一周してくる！」
知らない人についてったら駄目だからね！という母親みたいなローゼルの忠告に「余計なお世話！」と返しながら、エリスは勢いよく外へ飛び出した。
一人残されたローゼルは扉をしばらく見つめた後、やれやれ困ったもんだ、と首を振る。
「……いい子なんだけど、頑固なんだよなぁ……」
ガシガシと髪をかいて、ローゼルは呟く。成長を喜ぶべきなのか、一人でどんどん進んでしまう事を寂しく思うべきなのか。
兄とはいえ親代わりをしてきたローゼルの胸中は実に複雑だった。
「あぁ…母さん、父さん、エリスを見守ってくださいね……」
雲ひとつない清々しい空が両親のいるあの世に通じている事を願いつつ、ローゼルは手のかかる妹の未来を祈った。
