3


「〈転送〉」

 レイが前に左手を前に突き出して魔法を発動する為の特殊言語を唱えると、声に反応するように 手の甲の魔鉱石の上に魔法陣が幾重にも出現した。パシュッ!と一際強い光が弾けて霧散すると、その手には黒光りする銃が握られていた。
レイはすばやく銃のハンガーを起こし、男に向けてトリガ―を引く。

「ぐぅっ!」

撃たれた男は苦悶の表情を浮かべながら地面に倒れ、そのまま沈黙する。

「レイ!殺してないでしょうね?!」

「麻酔だ!」

「今回の依頼は捕縛なんですよ。忘れないでくださいね。ただ働きは嫌ですからね!」

「やかましいっ!言われなくても分かってるっ!」

 心配性の母親みたいな奏に、レイはそう叫び返した。しかし、緊張感のない会話の間も戦いの手は一切緩めていない。
ディオは信じられない気持ちで目の前の光景を見ていた。自分が手も足も出なかった男達相手に健闘どころか圧勝している。

「て、てめぇらっ!それ以上動くな!こいつがどうなってもいいのか?!」

 男の一人がディオの首にナイフを押し当て叫んだ。正攻法では勝てないと判断したらしい。 怒号というより悲鳴に近いそれは間抜けにも見えるが、普通なら一瞬動きを止めるだろう。
しかし、レイはチラッとこっちを一瞥しただけで、すばやく身をひねらせて襲いかかろうとした男の腹を銃で撃った。

「ぎゃぁっ!」

 奏も同じような反応で、針を男の腕に投擲して武器を地面に落とす。ナイフを押しつけている男は 冷徹ともとれるその態度に唖然としていたが、ディオは当然だろうと思う。
彼女たちが何故ここにいて今戦っているかは分からない。 だが、向こうも訳の分からない貧相なガキの為に怪我をしたくないだろう。

「おぉぉぉい!俺は本気だからな!動いたらこのガキころすげばぁっ!」

 語尾がおかしかったのは男のテンションが荒ぶりすぎたからではない。上から投げ落とされた石が 男の顔面に命中したからである。見上げると、4階建ての建物の屋上にディオと同じくらいの少年が 石を投げたままの体勢で立っていた。紺色の髪に金色の目と平凡な容姿だが、右目に猫の顔の眼帯を つけており、その下から仄かに紫色の光が漏れている。
 純粋そうな顔つきの少年は羽織っているケープの下から何か取り出し、何の躊躇もなく屋上から タンッと軽く跳躍する。着地点は、真下―――つまり、ディオにナイフを押しつけている男の真上。

「なっ?!」

男は突然の事態に大きくたじろぐが、もう遅い。

「イジメ」

少年は空中で身を器用に捻り、

「だめ」

手に持っているものを大きくふりかぶって、

「絶対―――――っ!!」

 絶叫と共に男の目の前で野球の様に空中で振りきった。少年の持っている“何か”が男の横っ面に直撃し、 「ぐぎゃぁぁぁぁあぁぁっ」とむごい悲鳴をあげながら勢いよく地面を転がっていく。
普通の子供にできる芸当ではない。眼帯の下から漏れている光といい、この少年も“ネームレス”とかいう存在 なのだろうか。スタッと難なくディオの目の前に着地した少年は、フフーンと得意そうに腰に手を当てた。 その手には男を殴り飛ばした凶器が握られている。

「フライパン……」

 料理に使えそうなフライパンだ。普通のものと違う点と言えば、形状が少年の眼帯と同じ猫の顔型という あたりだろうか。少年はクルリと振り返って、ディオに微笑みかける。

「だいじょうぶ?」

「お、俺…」

 ディオは腰が抜けた体勢のまま、少年とレイを交互に見た。 レイ達が無視したのは、この少年がいる事に気づいていたからなのだろうか?でも、何故?
次々とわいてくる疑問に思考が追いつかず、ディオが呆然と座りこんでいると、不意にレイがこちらを向いた。

「ヨル!お前、なんでここにいるんだ?」

 レイはそう言いながら素早く体を反転させ、襲いかかる男達を蹴りあげ、駄目押しとばかりに麻酔銃を撃って昏倒させる。流れるようなその動きは まるで草むしりでもしているかのような気楽さだ。
少年―ヨルは何か思い出したようにディオから視線を外して「あ、あの、あのね」と何度もつっかえながら話し始めた。

「メルねぇが倉庫をみつけたんだけど…爆弾があってね、それをどうにかしなきゃいけないって…」

「は……そ、そういうことかよ……」

ヨルの言葉に反応したのはシェラを拘束している男だった。瞳孔を限界まで開いた男は荒い息を吐き出し、シェラの腕を掴んでいた手を首にまわして引き寄せる。

「きゃぁっ!」

「シェラ!」

「全員動くんじゃねぇっ!」

 シェラの方に近寄ろうとしたレイ達が動きを止めて男を見る。一斉に視線が集まり気をよくしたらしい男は、舌なめずりをしながら狂気じみた声で言った。

「何でギルドが出しゃばってくるんだと思ったら、ガキの奪還に来たとはな…」

男は懐から何かスイッチの様なものを取り出すと、レイ達に見える様に突き出した。

「倉庫にはな、爆弾が大量に仕掛けてある。こいつを押したらガキどもは、みんな木端微塵だ」

 ディオはハッと顔を上げる。自分たちが放り込まれていた所以外にも倉庫はあった。 恐らくそこにも自分たちと同じ境遇の子供達がいて、その子供達の奪還がレイ達の 任務なのだろう。
 そして、あのスイッチは多分本物だ。倉庫から逃げる途中、爆弾っぽいものが物陰に仕掛けられているのを見た。 自分たちの居た所にあったのだから他にあってもおかしくない。

「う、撃つんじゃねぇぞ!その前に俺はスイッチを押してこのガキの首を切るからな!」

レイは男に目を向けず、ちらりとディオの方を見た。目の奥にある何かを見極める様にジッと見つめた後、

「……私たちが動かなきゃいいのか」

 ディオの表情から爆弾の真偽を判断したのだろう。レイは悔しそうに顔を歪ませ、持っていた銃を前に放り投げた。ユートは我関せずと言った様子で干し魚を食べているが、 ヨルも奏も動く気配を見せない。男とレイ達の静かな睨みあいが続く。
 今なら、とディオは小さく拳を握る。レイに注意が逸れている今なら隙をつけるかもしれない。 走りだそうと身体をわずかに動かした時、男の首がぐるりとディオの方を向いた。

「何見てんだよ!クズっ!」

「ぐっ!」

 男の容赦ない蹴りがめり込んだディオの身体は、ボールの様にごろごろと地面を転がった。ぎゃはははっ!と男は汚い笑い声をあげる。

「てめぇみたいな弱いガキなんざ、ゴミみてぇに転がってろ!」

 もう一度立ち上がろうにも力が入らない。男の言う通りだ。自分は弱い。たった一人も守る力がない。
どうしようもない悔しさがディオの胸に込み上げて、涙があふれてきた。

「これ押されたくなきゃ、大人しく巣穴に帰れギルドの屑ども!」

 完全に勝利を確信した男がスイッチを持つ手をこれ見よがしに振って言う。が、レイは大きく息を吸ってわざとらしいため息を ついた。頭痛を抑える様に片手を額に当てて頭を振る。

「あー!もうっ!やめだやめだ。芝居なんて馬鹿馬鹿しい。」

その顔にさきほどまでの悔しそうな表情はどこにもない。あまりの変貌ぶりに男が笑顔のまま硬直する。

「な、なんだよてめぇ…トチ狂ったのか」

「おまえ、馬鹿だろ」

「あ?」

「手、よく見てみろ」

 レイの台詞に導かれるように、ディオと男はスイッチを持っていた男の手に視線をやり―――言葉を失った。 スイッチが握られていたはずの男の手は空だった。周りに落ちているわけでもない。完全に消えている。 男も指摘されるまで気づいていなかったらしく、自分の手を見て絶句していた。

「スイッチ、みっけ〜」

甘ったるい香水の様な声は路地の暗がりから聞こえた。