ホームレス危機


ゼノ大陸全土を巻き込む戦争が終結して5年が経過して、この世界には二つの大国が現れた。

「……先々週受けた猫探しの依頼が…2000ゼル」

 東の大国、ユーフェリス。
 国土は大きく分けて3つの区域に分かれ、その境界は神々しく照らされた円柱の塔“セリシア”を中心にして、 波紋の様に広がる二つの壁で仕切られている。

「先週受けた用心棒1週間の依頼が…1万5000ゼル」

 塔の麓に広がり、生活の全てが保障された上流階級の区域“セリス”。
 国境の付近をぐるりと囲い、未だ戦争の爪痕が色濃く残る区域“インフェルノ”。
 二つの街に挟まれる形で存在する“トレスタ”。

「んで…2日前にうけたサルバーン団討伐依頼が、2万ゼル……」

 インフェルノ東地区の街カルム。
戦争の影響でぼろぼろになった古ビルが立ち並ぶ通りに、その事務所はあった。

「出費の方は……食費と……あと、これ…あ、これもか………」

 5階建て古ビルの2階。扉の横には「鴉の片翼」と書かれた木製の看板が傾き今にも落ちそうな状態で壁にしがみついている。 室内には古いものだがソファー一式とテーブル、隅には観葉植物と一応事務所らしい雰囲気があった。
 壁紙はなく、無骨なコンクリートむき出しだが不思議と違和感を抱かせない。 窓際では目つきの悪いペンギン―ユートが気だるそうな目で外を眺めていた。

「……これから絶対払うものは……」

 パチパチという軽い音は、部屋の奥から聞こえてきた。そこそこ大きな事務机の向こうに座る黒髪の女―レイが、窓から差し込む日光を光源に電卓を叩いている。 いつものように腰まで届く髪を首の後ろで一つに束ねたレイは、切れ長の黒眼を更に細めて次々と数字を入力していく。
 やがて横に置かれた紙に書かれた数字を全て打ち終え、イコールキーを押した。

「……マイナス…?」

 電卓に表れた数字の前にはマイナス記号がしっかりと点滅していた。つまり、赤字である。
レイはもう一度電卓の数字を見て、机上に散らばった紙を確認し、「あぁ…」と糸が切れた人形の様に頭を抱え机に突っ伏した。実はこの計算、三度目だ。 三度も同じ結果が表示されれば投げやりにもなる。
 ドンッと派手に頭を机に打ち付けた音に驚いたユートが、ビクッと身体を震わせてレイを見た。しかしそんなことを気にも留めずにレイは消え入りそうな声で呟く。

「何でだ……これだけ仕事をして何で採算が合わないんだ……」

「教えてさしあげましょうか、うちが貧乏な理由」

 レイのぼやきに応えたのは、奥の扉から出てきた青年だった。レイは頭を上げるのも億劫だという調子で視線だけ青年に向ける。 群青色の髪を束ねた銀眼の青年は、派手というより控えめな雰囲気をまとっている。変わっているといえばその服装だろうか。
 袖口は広く、全体的にゆったりとした服の丈は足元まである。腰辺りからスリットが両サイドに入っており、その下にズボンをはいていた。
本人曰く東にある国の服装だそうだが、このユーフェリスで日常的にこの格好をしている変わり者は彼くらいだろう。 その東の国の文化である「漢字」を名前に使っている人も、また然りである。
 奏。それがこの青年の名前だ。

「…なんだ…奏か」

「『…なんだ…奏か』じゃありませんよ! うちが貧乏なのは、レイが余計なアフターケアし過ぎなんです!」

 奏はレイの机の前までやってくると、いかにも怒っていますと腰に手を当ててズイっと身を寄せた。

「僕らはギルドなんですよ!」

 ユーフェリスはギルドという民間の組織がある。警備隊や軍が処理しきれない民間人の依頼を報酬と引き換えに請け負う人々の事で、 レイ達もギルドの一つ「鴉の片翼」のメンバーである。
……と言っても「鴉の片翼」のメンバーは4人と1匹だけなのだが。
 一応連盟や規則などもあるがそれ以外は比較的自由の為、構成人数や年齢層、請け負う仕事は実に多種多様。レイ達の様な少人数ギルドも珍しいわけではない。 しかし、あくまで“民間組織”。国の庇護下には一切入らない。
依頼を受けられなくては当然お金も入って来ないし、何かあればその経費は大体自分持ちになるわけで。

「今回のサルバーン団捕縛も大した金額じゃないんですよ。なのに子供達の保護先まで世話しましたし……」

「だ、だって……放っておくわけにもいかないだろ?」

「限度があるんです!しかも!よりにもよってあのラスティに紹介させるなんて!!」

 奏の小言に、レイは悪戯が見つかった子供の様に首を竦めた。顔にはバツの悪そうな表情が浮かんでいる。

「あいつは私の知り合いだし、確実だろ。変な奴に頼んで変な所紹介されたら困る」

「紹介料がぼったくりなんですよ、あの人は!」

「でも孤児達をちゃんとした所に引き取ってもらえたじゃないか」

「おかげでこっちがホームレスの危機ですよ!」

 奏は腕を組み、頬を膨らませて顔を逸らす。すっかりお怒りモードだ。返す言葉もないな、とレイは独りごちて頬杖をついた。 奏の小言が全部正論な分、余計に反論の余地がない。
 ギルドにとって、赤字というのはそのまま生活の危機に繋がる。大きく知名度の高いギルドともなれば会社などのスポンサーがついて生活の保障をしてもらえるらしいが、 生憎「鴉の片翼」は人数も少なければ知名度も低い。もちろん、そんな強力な後ろ盾はない。
 だから本来仕事にならない事をすべきではないのだ。依頼者から経費でもらえるなら別だが、今回は完全に「余計なアフターケア」なのだから。

「仕方ないだろ。……あぁいうの、放っておけなかったんだから」

「レイ……」

 いつになく真摯なレイの台詞に奏は一瞬ハッとした顔になり、少し言いすぎたかな…と目を伏せた。が、やっぱり甘やかしはいけないと思ったらしい。 思考を振り払う様に首を振って目を吊り上げ、怒った表情に戻す。

「小規模とはいえギルドなんですから、マスターとしての責任感くらい持ってくださいよ!」

「マスター“代理”、な」

 言葉の些細な違いを言いなおし、レイは椅子に深く腰掛けた。未練がましく電卓を見ても、当然数字が変わるはずもない。

「今月まだ家賃も払えてないんですからね!」

「う…」

「この寒いのにホームレスとか嫌ですからね!?」

「わ、わかってるって……」

「何でもいいから依頼こなさないと!」

「その依頼がこないから困ってるんだろう」

 ギルドにとって知名度は大事だ。知名度が高ければ依頼も増えるし収入も増える。だが、「鴉の片翼」の様な少人数ギルドは所詮こなせる依頼も規模も限られる。
 ギルドを緩く束ねる連合から仕事を仲介してもらう事もあるが、不運な事に今は連合のネットに何も掲載されていない。 知名度が低ければ依頼が来ない、依頼が来なければ収入もない。
 悪循環だ。

「いっそ、通りで『お金もらえれば何でもやります!』って大声で宣伝したらいかがです」

「近所迷惑で余計に依頼減ると思うぞ。ってかその台詞さりげに下衆だな」

「ゼロもマイナスも大差ありませんよ」

 スパッと辛らつな事を言われて、レイは重苦しい息をついた。月末が近いこともあって、奏はレイを開放してくれそうにない。 何とか逃げる口実はないものか、とレイは天井を仰いだ。

「たっだいまー!」

「ただいまぁ……。あー、つかれたぁ……」

 レイの祈りが神に届いたのか、鉛の様な空気を打ち消すように勢いよく玄関の扉が開かれた。土埃混じりの風と共に入ってきたのは12歳くらいの少年と18歳くらいの少女。
 二人とも「鴉の片翼」の残りのメンバーである。
 少年は大きな紙袋を両手で一生懸命抱えながら一目散にレイ達の元へと駆け寄ってきた。レイはこれ幸いとばかりに立ちあがり、少年の荷物を受け取ってその頭を撫でる。

「おかえり、ヨル。メルもおつかれ」

「レイ、奏にぃ、ただいま!ユート、ただいまー!」

 ややクセのある紺髪に金眼の少年、ヨルは純真無垢という言葉がよく似合うあどけない顔立ちをしていた。右目に猫の顔の形をした眼帯をしている事以外、 どこにでもいそうな少年という感じである。

「あー……お店なんであんなに遠いのよぅ。足が地味に痛いー」

 子供と大人の境界線の絶妙な雰囲気を持つ緑眼の少女、メルはソファーに身を投げ出して足をマッサージし始めた。ボディラインは煽情的だがわざとらしい感じがなく、 ゆるく三つ編みにされた赤髪も自然体でしなやかな美しさを引き立たてている。

「おかえりなさい二人とも。頼んだものはありましたか?」

「うん!全部買えたー!あと、パン屋さんでサービスしてもらった!奏にぃにヨロシクって言ってたよ」

「そうですか。今度御礼言わなくてはいけませんね。あ、ヨル、これしまうの手伝ってください」

「りょーかい!」

 レイへの説教は一時中断する事にしたらしい。奏はレイが受け取った紙袋を抱えると、ヨルの手を引いて奥の部屋に引っ込んだ。 レイがホッと一息ついていると、不意に「あっ!」とメルが何か思い出したように声をあげた。

「思い出した思い出したー。レイ宛になんかお手紙?っぽいの来てたわよー」

「どうして疑問形なんだ」

「んー……だって住所書いてなくて封筒に名前だけ書いてあるだけだしぃ。そこの袋の中にあるから」

 適当に見てよー。とメルはソファーでゴロゴロしながら言った。レイは訝しげな表情でメルを見たが、とりあえず玄関先に置きっぱなしにされた紙袋の中から 目的の封筒を取り出す。
 一般的に流通している真っ白な封筒。確かに住所はなく、「レイ様へ」とだけ几帳面な字で書かれている。 封筒を振ってみるが、紙がこすれる音以外に特に何か音はしない。カッターの破片とかは入っていないようだ。
 とはいえ、宛名だけの手紙を送ってくる人物に全く覚えがない。レイは万一の事態を警戒しながら、慎重にその封を切った。